剣道の「三所避け」

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三所避けみところよが剣道の試合で散見され、議論されるようになって30年近く経つだろうか。

そもそも「三所避け」というネーミングもよく思いついたものである。議論が始まった時にはそういった名前は特になく、「左拳を頭上に持ってきて、面と小手と胴を同時に守る防御の仕方」と現象をそのまま言っていたように思う。時には「霞の構え」、時には「三所隠し」と呼ばれながら、一応今のネーミングで落ち着いているように思う。

この三所避けは本当に評判が悪い。中体連の大会ではルール上反則になるとも聞く。また、高校生や大学生においても、「新型コロナウイルス感染症が収束するまでの暫定的な試合審判法」(長い、、、。コロナルールと呼ばせてもらう」では、「意図的な時間空費や防御姿勢(勝負の回避)による相手に接近する行為は、規則第1上に則り反則を適用する」という説明がなされており、特に三所避け(のような体勢)による接近に対して反則の適用がなされやすくなった。(全日本剣道連盟公式YouTubeチャンネル https://www.youtube.com/watch?v=MKlIM1kXkz8 8分30秒くらいから)

そもそもなぜ三所避けがだめなのか。実際、小手返し面や日本剣道形四本目のように、三所避けと同様の体勢による小手や突きへの応じ技は存在している。これは防御とし非常に効果的であることに他ならない。

これは、稽古方法というスタンスからみると答えが出てくる。

武道の技術は、あくまで相手を捉え、殺傷するということが前提にある。

しかし、真剣で斬り合うわけには行かないから仮想敵を置いた形を用いて稽古する。実際に相手とのやり取りの中で間や間合い、駆け引きを学ぶために木刀を用いて形による稽古を行う。だが、形はある程度手順が決まっており、相手の動きの予測可能な範囲が広い。より予測が不可能な状況での稽古が必要となる。だから、実際に相手と打突しあうために防具や竹刀で稽古を行う。だが、こちらは真剣の技術を磨くためというならば、道具からして難しい。

といったように、今でこそ剣道・居合道・杖道という枠組みの中で行ってはいるが、全てが武道を高めるための「稽古法」であるということを認識しなければならない。

となると、剣道の場合は自由に相手と打突しあう安全性を持つが故に、打突部位を4箇所に(面・小手・胴・突き)し、下方向からの打突はしないという非常に限定された中で、技を高め、心を磨く。剣道における最も重要な稽古方法としての考え方、前提がある。

従って、限定的な打突部位と打突の方向性がある故、「三所避け」のように、限定された部分全てを隠してしまう方法は、稽古方法としての剣道を最大限に生かすことはできない、というのが師匠の結論である。競技力は高くなるとしても、武道を高めるというスタンスからは大きくはずれるということである。自ら難しさに立ち向かっていくこと、これを忘れてはいけないということか。

師匠は私たちによく警告する。「方法が目的化しないようにね」と。

これは、世の中で起きている多くのことにもいえることだろう。

師匠のおかげでいつも自分を振り返ることができる。

◯物事の本質を掴むために、思考停止にならないこと。

◯難しさに出会えた幸せを感じ、できない自分に向き合い続けることが大切だということ。

でも、最近よく思う。

これって、相当精神レベル高くないと厳しくないか。。。

そして、「そうか、生きるための精神レベルを高めるために私は武道と出会ったのかもしれない」と武道との出会いを運命などと捉えようとしてみる自分に気付き、しばしば恥ずかしい思いを抱いて自己嫌悪に陥っている。

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